2014年 06月 28日
ビルマの財布 |
タイトルはビルマ、と書きましたが今の国名はミャンマーですね。
しかしこの財布は今から32、3年前に頂いたものですから、間違いなくビルマの財布なのです。
その頃、鷲鷹家に初めて外国人がお客さんとして来られました。
その方がビルマの Myo Myint Pe さんと言って、通称はペーさんという若い20代の技術者です。(私も若かった)
当時私は倉敷の製油所に勤務していましたが、ビルマから石油精製技術の研修生が訪れ、その一員のペーさんと、電気/電力技術の研修指導を担当していた私が親しくなりました。
そしてある日、家内にその研修生を我が家に招待しよう、と相談したところ大賛成で、当時小学生と幼稚園生だった長男、次男も大喜びです。
その時にペーさんが持参された手土産が、家内用に簡素なネックレス、私にはこのビルマの民族模様が入った財布で、見事なものでしょう。
引き出しの整理をしていた時に発見しました、懐かしいですね。
この1、2年ミャンマーが日本や欧米との通商を開始したので、ホテルや航空便などが予約できないほど沸き立っています。
私もこれまで約50ヵ国を訪れましたが、アジアにはまだ足を運んでいない国が沢山あり、このミャンマーは行ってみたい国の筆頭です。
その後のペーさんの消息は不明ですが、もしミャンマーに行けたら、是非とも会ってみたいと思わせた財布でした。
しかしこの財布は今から32、3年前に頂いたものですから、間違いなくビルマの財布なのです。
その頃、鷲鷹家に初めて外国人がお客さんとして来られました。
その方がビルマの Myo Myint Pe さんと言って、通称はペーさんという若い20代の技術者です。(私も若かった)
当時私は倉敷の製油所に勤務していましたが、ビルマから石油精製技術の研修生が訪れ、その一員のペーさんと、電気/電力技術の研修指導を担当していた私が親しくなりました。
そしてある日、家内にその研修生を我が家に招待しよう、と相談したところ大賛成で、当時小学生と幼稚園生だった長男、次男も大喜びです。
その時にペーさんが持参された手土産が、家内用に簡素なネックレス、私にはこのビルマの民族模様が入った財布で、見事なものでしょう。
引き出しの整理をしていた時に発見しました、懐かしいですね。
この1、2年ミャンマーが日本や欧米との通商を開始したので、ホテルや航空便などが予約できないほど沸き立っています。
私もこれまで約50ヵ国を訪れましたが、アジアにはまだ足を運んでいない国が沢山あり、このミャンマーは行ってみたい国の筆頭です。
その後のペーさんの消息は不明ですが、もしミャンマーに行けたら、是非とも会ってみたいと思わせた財布でした。
by wasitaka
| 2014-06-28 16:29
| 外国のこと
|
Comments(2)
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by
壽
at 2014-06-28 23:11
x
30数年前、水島製油所の人たちを中心に大勢の人がビルマに長期出張していましたね。プロジェクトとして成果を挙げられたのかどうかよく知らないのですが。
そう言えば、ビルマが何故長期にわたって軍政になってしまったのか、
勉強不足でよく理解出来ていません。
タイはしばしば軍政を布いていて慣れっこになっているようですね。
もし日本で軍政(軍はないから自衛隊政?)てなことになったらと考えるとぞっとします。
そう言えば、ビルマが何故長期にわたって軍政になってしまったのか、
勉強不足でよく理解出来ていません。
タイはしばしば軍政を布いていて慣れっこになっているようですね。
もし日本で軍政(軍はないから自衛隊政?)てなことになったらと考えるとぞっとします。
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Commented
by
wasitaka at 2014-06-29 18:27
>壽さん、あのプロジェクトは三菱重工(MCEC)のもので、我が社は助っ人として派遣されました。電力技術者は不要だったため、私が参加する機会は無かったのですが、仕事は首尾良く成功したと聞いています。
軍政に関しては戦前の日本がそうでしたから、実際ぞっとしますが、当時はマスコミも積極的にPRしたために、国民もすっかり踊らされてしまったのではないでしょうか。
今の世の中でも、マスコミは要注意と思っています。
軍政に関しては戦前の日本がそうでしたから、実際ぞっとしますが、当時はマスコミも積極的にPRしたために、国民もすっかり踊らされてしまったのではないでしょうか。
今の世の中でも、マスコミは要注意と思っています。