2011年 03月 02日
イランの総括 |
昨晩、関空と羽田経由で無事日本に帰着しました。
28日にタブリーズからテヘランに行き、会議を終えてから夜にドバイへ移動、その機内で12日ぶりとなるアルコールで乾杯。
ドバイ到着後に空港で「イランの総括」をブログにアップしたのですが、最近の中東のネットの不安定さが原因でしょうか、アップできずに消えてしまいました。
さて今回のイラン出張で感じたことを総括してみたいと思います。
まずは私自身が、イスラム世界はすべてアラブ的で同じものと考えていたのですが、アラブとペルシャは大違い、ということです。
詳しいことは近いうちにまとめておくこととしましょう。
次はイランの成長の可能性で、エコノミストがイランをNEXT11に組み込んでいる通り、街も活気を帯びており、若い人がよりよい生活を求めて積極的に努力していることが良く分かりました。
これは私が訪れた省エネルギー技術研修所でのひとコマですが、この日の学生研修生の半分を女性が占めて、イランの将来の女性の社会進出を裏付けていると思われます。
続いて個人的ではありますが、11日間の禁酒生活を問題なく過ごすことが出来たこと、さて今後のアルコールとの付き合いはどうなるでしょう。
また、昨今の北アフリカ、中東情勢に関しては、日本のマスコミ報道ほどにはイランは不安定ではないことも上げるられます。
2週間弱の短い期間で、私の行動範囲だけでは安易に断定はできないでしょうが、少なくとも私が目にし、周囲のイランの人たちから聞いた限りでは、まったく平静でした。
そして今回同行してくれたイランの方は、「イランは30年前に改革の経験があって、その大変さも分かっているから、他の経験のない国ほど大騒ぎにななりませんよ」、という見解の通り、マスコミが期待するような大騒動には広がらないでしょう。
もうひとつはこの通り美女が多いことと、イランの人たちが全般的に親しみやすいことでした。
古くはアレキサンダー大王の時代から、この地は西や東の欧州とアジア、北や南のスラブやアラブ血が混じり合い、交流があったことに起因すると思われます。
そんな背景があるのに、イランには日本人はあまり足を運ばないのでしょう、街の人からは「韓国人?中国人?」と聞かれ、彼らのイメージからは日本人は登場しません。
街の看板もLGやサムソンが目立ち、テヘランからドバイ行きの機内では中国人が大騒ぎしていました。
このままでは、これから大きく成長が期待されるイランのマーケットに、日本が出遅れることが懸念されます。
取りまとめのない総括となってしまいましたが今回の出張では、私がお付合いしたイランの方たちは技術吸収意欲が旺盛でした。
今後のイランの発展を祈るとともに、再訪問の機会をちょっぴり期待しています、何しろ遺跡などの観光とは殆ど無縁でしたから。
28日にタブリーズからテヘランに行き、会議を終えてから夜にドバイへ移動、その機内で12日ぶりとなるアルコールで乾杯。
ドバイ到着後に空港で「イランの総括」をブログにアップしたのですが、最近の中東のネットの不安定さが原因でしょうか、アップできずに消えてしまいました。
さて今回のイラン出張で感じたことを総括してみたいと思います。
まずは私自身が、イスラム世界はすべてアラブ的で同じものと考えていたのですが、アラブとペルシャは大違い、ということです。
詳しいことは近いうちにまとめておくこととしましょう。
次はイランの成長の可能性で、エコノミストがイランをNEXT11に組み込んでいる通り、街も活気を帯びており、若い人がよりよい生活を求めて積極的に努力していることが良く分かりました。
これは私が訪れた省エネルギー技術研修所でのひとコマですが、この日の学生研修生の半分を女性が占めて、イランの将来の女性の社会進出を裏付けていると思われます。
続いて個人的ではありますが、11日間の禁酒生活を問題なく過ごすことが出来たこと、さて今後のアルコールとの付き合いはどうなるでしょう。
また、昨今の北アフリカ、中東情勢に関しては、日本のマスコミ報道ほどにはイランは不安定ではないことも上げるられます。
2週間弱の短い期間で、私の行動範囲だけでは安易に断定はできないでしょうが、少なくとも私が目にし、周囲のイランの人たちから聞いた限りでは、まったく平静でした。
そして今回同行してくれたイランの方は、「イランは30年前に改革の経験があって、その大変さも分かっているから、他の経験のない国ほど大騒ぎにななりませんよ」、という見解の通り、マスコミが期待するような大騒動には広がらないでしょう。
もうひとつはこの通り美女が多いことと、イランの人たちが全般的に親しみやすいことでした。
古くはアレキサンダー大王の時代から、この地は西や東の欧州とアジア、北や南のスラブやアラブ血が混じり合い、交流があったことに起因すると思われます。
そんな背景があるのに、イランには日本人はあまり足を運ばないのでしょう、街の人からは「韓国人?中国人?」と聞かれ、彼らのイメージからは日本人は登場しません。
街の看板もLGやサムソンが目立ち、テヘランからドバイ行きの機内では中国人が大騒ぎしていました。
このままでは、これから大きく成長が期待されるイランのマーケットに、日本が出遅れることが懸念されます。
取りまとめのない総括となってしまいましたが今回の出張では、私がお付合いしたイランの方たちは技術吸収意欲が旺盛でした。
今後のイランの発展を祈るとともに、再訪問の機会をちょっぴり期待しています、何しろ遺跡などの観光とは殆ど無縁でしたから。
by wasitaka
| 2011-03-02 07:03
| イラン
|
Comments(2)
Commented
by
壽
at 2011-03-02 10:18
x
無事な帰国、おめでとうございました。ブログの更新が無かったので、ひょっとしてトラブルに、などと考えすぎてしまいました。ほぼ平穏な情勢で良かったですね。マスコミの報道は原則として自由でなければいけませんが、もう少し報道側の倫理観、中立性を求めます。まだ当分の間、イラン業務の残務整理と次の
仕事の準備で忙しいことでしょう、疲れ過ぎないようお気を付け下さい。
仕事の準備で忙しいことでしょう、疲れ過ぎないようお気を付け下さい。
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by
wasitaka at 2011-03-04 06:59
>壽さん、ご心配をおかけしました。今回も仕事や生活、交通状況などは全く問題ありませんでしたが、最大の問題はネット事情でした。中東諸国は、宗教上の理由などによりネット規制をしていることが多いこと、また最近の改革騒ぎでも規制が厳しくなっていたのでしょう、ちょっと私も混乱してしまったことが度々でした。
なおお陰様で身体の方は全く健全です。時差ボケもなし、昨晩も22時就寝で、今朝は5時45分に起床、そして間もなくウランバートルに向けて出発します。厳しい寒さがちょっと心配でしょうか。
なおお陰様で身体の方は全く健全です。時差ボケもなし、昨晩も22時就寝で、今朝は5時45分に起床、そして間もなくウランバートルに向けて出発します。厳しい寒さがちょっと心配でしょうか。