2012年 01月 21日
新聞広告 |
私の新聞購読の半分以上の目的は広告を見ることでしょうか。
しかし最近の企業は費用対効果を検討して、ネットによる広告が新聞や雑誌広告を凌駕してきつつあるようです。
確かにそのような流れを受けた結果でしょうか、新聞広告が週刊誌並みのレベルになってきていることはご存知でしょう。
そんな中、一昨日の読売新聞の第1面の下段広告にこのような、我々をターゲットにした広告が掲載されていました。
これによれば、100歳までボケない手指対応の指南なども書かれていますが、このフレーズはかなり気になります。
60歳或いは60数歳から年金生活を始めて、100歳まで生きるということは自分の労働してきた期間よりも、蓄えを使いながら若い世代に養ってもらう期間がほぼ同じということです。
果たしてこのような仕組みは将来ともに支えきれるのでしょうか。
私はたまたま恵まれて働いていますが、私の仲間では年金生活に入った人もそこそこいます。
一方で、福祉社会とマスコミが喧伝するスウェーデンなどでは、70歳ぐらいまで生き生きと働いているのが普通とも聞き及んでいます。
早急に高齢化を迎えている日本でも、高齢者が働き続けて社会に貢献し、生きがいを見いだせるような仕組みを考えるべきではないか、と考える今日この頃です。
しかし最近の企業は費用対効果を検討して、ネットによる広告が新聞や雑誌広告を凌駕してきつつあるようです。
確かにそのような流れを受けた結果でしょうか、新聞広告が週刊誌並みのレベルになってきていることはご存知でしょう。
そんな中、一昨日の読売新聞の第1面の下段広告にこのような、我々をターゲットにした広告が掲載されていました。
これによれば、100歳までボケない手指対応の指南なども書かれていますが、このフレーズはかなり気になります。
60歳或いは60数歳から年金生活を始めて、100歳まで生きるということは自分の労働してきた期間よりも、蓄えを使いながら若い世代に養ってもらう期間がほぼ同じということです。
果たしてこのような仕組みは将来ともに支えきれるのでしょうか。
私はたまたま恵まれて働いていますが、私の仲間では年金生活に入った人もそこそこいます。
一方で、福祉社会とマスコミが喧伝するスウェーデンなどでは、70歳ぐらいまで生き生きと働いているのが普通とも聞き及んでいます。
早急に高齢化を迎えている日本でも、高齢者が働き続けて社会に貢献し、生きがいを見いだせるような仕組みを考えるべきではないか、と考える今日この頃です。
by wasitaka
| 2012-01-21 22:42
| 日食べ物
|
Comments(2)
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by
壽
at 2012-01-22 01:12
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まさに、ずばり年金生活の小生には、考えさせられる切実な問題提起ですね。バブルに踊って低負担高福祉が可と勘違いさせられた無知な国民と、勘違いさせた旧自公政権、そしていまだに国民に、経済状況が変化したことを説得し切れていない民主、そして旧来の理想論から脱却出来ていない他の政党・・・・700人を超えるすべての国会議員全員が有罪です。生まれたばかりの孫をあやしながらこの国を”どげんかせんといかん”と本当に思っています。政争をやっている暇はないのです。
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by
wasitaka at 2012-01-22 20:51
>壽さん、無知な国民を生み、自分の当選しか考えられない議員を育て、中途半端な政党を面白おかしく維持させているのはマスコミではないかと、私は考えています。
かつて大宅壮一さんがテレビの普及を、「一億総薄痴化」と喝破した通りに世の中は進んでいるようです。更に、このようなことは日本だけの現象ではなく、南欧など世界的にも何やら進行しているように思えます。我々は孫達に、自信をもってバトンを渡すことが出来るのでしょうか、かなり自信がありません。
かつて大宅壮一さんがテレビの普及を、「一億総薄痴化」と喝破した通りに世の中は進んでいるようです。更に、このようなことは日本だけの現象ではなく、南欧など世界的にも何やら進行しているように思えます。我々は孫達に、自信をもってバトンを渡すことが出来るのでしょうか、かなり自信がありません。