2013年 11月 12日
過剰包装 |
日本人はギフト好きで、しかもそのギフトには過剰な包装が施されていることはご承知の通りです。
その点、ワルシャワ在住当時は、家にお呼ばれをした際などは、花束やワインなどを持って行くことが通例で、その包装も実に簡易なものでした。
そしてその日本過剰包装の習慣は、ギフト用だけではなく、このような一般消費物にも施されています。
ちょっと分かり難いかも知れません、左側が黒豆せんべい10枚入りの袋で、もうせんべい10枚は外れているのに、中にサポートプラスティックがあるため風袋の大きさは元のまま、ふっくら状態です。
10枚のせんべい各々もしっかりと袋に入っていることは、右の小袋でお分かりでしょう。
推測するに、黒豆入りのために煎餅自体が壊れ易いから、大袋、サポートプラスティック、小袋と3重の包装としているのだろうと考えました。
見た目が大事で、真っ直ぐなキュウリを消費者が好む国民性と同じところに根差すものでしょうか。
ごみ問題やエネルギー問題などを考えると、どうしても「もったいない」、という言葉が浮かんでくるのは、戦後の貧しい生活体験による賜物or遺物なのですかね。
その点、ワルシャワ在住当時は、家にお呼ばれをした際などは、花束やワインなどを持って行くことが通例で、その包装も実に簡易なものでした。
そしてその日本過剰包装の習慣は、ギフト用だけではなく、このような一般消費物にも施されています。
ちょっと分かり難いかも知れません、左側が黒豆せんべい10枚入りの袋で、もうせんべい10枚は外れているのに、中にサポートプラスティックがあるため風袋の大きさは元のまま、ふっくら状態です。
10枚のせんべい各々もしっかりと袋に入っていることは、右の小袋でお分かりでしょう。
推測するに、黒豆入りのために煎餅自体が壊れ易いから、大袋、サポートプラスティック、小袋と3重の包装としているのだろうと考えました。
見た目が大事で、真っ直ぐなキュウリを消費者が好む国民性と同じところに根差すものでしょうか。
ごみ問題やエネルギー問題などを考えると、どうしても「もったいない」、という言葉が浮かんでくるのは、戦後の貧しい生活体験による賜物or遺物なのですかね。
by wasitaka
| 2013-11-12 10:21
| 日食べ物
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